パーフェクト高校生の和泉一織は、人付き合いに関してはそこまでパーフェクトではない。
むしろ、私よりも下手だ。環くんから聞く限り、高校生活ではいっつも一人で行動しているらしい。
そんな彼が、突然買い物袋を両手に提げて「アイドルになります」と私の暮らしているアパートにやって来た。最初は冗談か何かかと思った。あの一織がアイドル? 三月の間違いじゃないの? そう何度も聞いても、私の恋人は「兄さんと一緒に、ですけどね」と苦笑するだけだった。
IDOLiSH7の和泉一織は、影からグループを支えるパーフェクト高校生だ。
特に、センターの陸くんを気にかけて何かとフォローしている。そんな姿に、私は一織のことがもっともっと好きになっていくのを感じていた。
それを本人に言えば「馬鹿ですか、貴方は。当たり前でしょう。それと……IDOLiSH7の私ではなく、和泉一織のことをもっともっと好きになって」と耳元で囁かれた。彼は確信犯だ。耳が赤くなる私を見てくすくすと笑いやがった。
そんな彼から「初めてのライブをするんです」とラビチャが来たから、大きい野外ホールでのライブにも行った。あの時は私を入れてもたったの十人くらいだった――……。
それから数カ月経った、一月のある日。
アイナナのファンでもある私はメディアを通して知ったのだ。三グループ合同でのドーム公演、という嬉しいニュースを。きっと本人はメディア公表前から知っている。そういえば、数日前にも彼に会ったが、どこか落ち着きがないようだった。気心知れた相手に口を滑らしてしまわないようにということだったのであろうか。
今日の夕方からオフだという一織と、夕ご飯を家で食べることになっていた。大したものは用意できないが、いつも彼は(文句を言いながらも)喜んで食べてくれるのだ。
約束の十分前、来客を告げるチャイムが鳴った。予想通りだ。空のグラスを置き終えた私は玄関へと小走りで向かい、誰かも確認しないまま勢い良くドアを開けた。
「おめでとう一織! 今日の夕食は赤飯だよ……痛っ!」
「何回注意すれば分かるんですか? チャイムが鳴ったらまずは確認してとあれほど……!」
ほら、すぐに文句言う。こんな言い方でも、心配してくれているって分かってるからいいんだけどね。
「それより早く入って。ここ、外。あなた、アイドル。オーケー?」
「……六弥さんの真似ですか。ぷっ、似てないですね」
「ツッコミも中で、ね」
男の人にしては細い手首をつかんでぐいっと自分の方へと引っ張れば、彼は何を思ったのか全体重を私に預けていたらしくそのまま一緒に倒れ込んだ。つまり、私の背中は床とくっついている(床ドンってやつだ)。否、正確にはその間には彼の腕がある。鼻先と鼻先が触れ合い、吐息が顔にかかる。
「家の中に入れば、ただの和泉一織でいいんですよね?
さんの恋人の」
「ん……っ! い、いお……っ!」
「クスッ……そんな顔も可愛いですよ。もっと見せて……?」
急に大人な態度になる一織は反則だ。ツゥと私の頬を撫でる手をペチペチ叩いて反抗してみせれば、これまた面白そうに笑い、彼は何事もなかったかのようにすっくと立ち上がった。
「すみません。
さんが愛らしかったので」
さらりと言うようになったものだ。彼は私に手を差し伸べて立ち上がらせた後、その手を離さないままリビングへと向かった。
定位置についた彼は早速、大皿に盛り付けられたからあげやサラダを取皿に入れながら玄関での会話の続きをし出す。
「赤飯、ですか……せめてライブが成功してからでもいいんじゃないんですか?」
「ドーム公演が決まったってことで、もうおめでたいんだって!」
「そうですか?」
「そうなんです!」
「はぁ……貴方が言うのなら、そういうことにしましょう」
「相変わらず素直じゃないなあもう」
取り終わりひとくち食べる一織。今日も美味しいですよ、と微笑んだ後に箸を置いてグラスに手をやった。その時、私は気付いてしまったのだ。珍しく、一織の手が震えていることに。
「い、一織? どこか痛いの? 具合悪い?」
「あ……いえ……その……わ、わら――笑わないでくれますか?」
真剣な表情で笑わないでと乞う彼を裏切るものか。笑ったりしないから。だから教えて、と柔らかい口調で返事をすれば、ゆっくりと口を開いた。
だが、それは想像していたものとはかなり違いがあった。彼もまたかすれたような小さな声で、私は聞き返してしまった。
「……怖い?」
「怖いんです」
「ライブ?」
こくりと頷いた彼はぽつりぽつりと呟いた。初めての三グループ合同ライブはいつもとワケが違うということ。前に失敗したことをまたやってしまわないかということ。そして、何より、ライブに来てくれるお客さん達を楽しませることが出来るかということ。
何馬鹿なことを言っているの。Re:valeとTRIGGERという先輩方がついているんだし、IDOLiSH7は今や人気のアイドルグループだ。不安に思わなくていい。MCだって上手な百さんや三月がいるし、WEB番組も好評だった。来てくれるお客さんを楽しませたいのなら、まずは自分たちが楽しまなきゃ。不安や焦りが伝わってしまうものだよーー。
「ーーだからね、一織。大丈夫、大丈夫だよ。全力で楽しんでおいで。私もチケット取って絶対に行くから」
優しく語りかけるように言えば、一織は私と視線を合わせてこう言った。「
さんに励まされるだなんて、私もまだまだですね」と。
私から言わせればこうだ。「私が励ますだなんて貴重なんだからね。一織だけなんだからね」、ばーか。
そして、七月七日。私は、事前通販で買った紺色のリストバンドを左腕につけて、埼玉県の某ドーム内にいる。
《終》