それは、何の前触れもなく、彼は突然現れたのだ。
「おはよう、
ちゃん。早く支度しておいで」
「……ん〜〜? んっ?! ゆ、ゆゆっ、千斗!?」
「おはよう。朝起きたら顔洗ったりするんでしょう? 僕はここで待ってるから」
そうじゃないってば。
は一気に目が覚め、我が物顔でソファーに座る千に詰め寄る。
「い、いや……どうして千斗がここに?」
ーーもしかしなくても、何か間違いが起きたんじゃ。思いつく出来事は昨晩、確かにあった。
昨晩、
は小学校の同窓会に出席していた。十数年ぶりに再会するクラスメイトもおり、話が弾んだ。場所は言わずもがな居酒屋だ。お酒はほどほどには飲むし、雰囲気で飲んでしまうこともあった。だが、同窓会という場でたくさん飲んで酔いが回って大惨事になったら大変だ。
はセーブするも、上機嫌なクラスメイトに次から次へとグラスを渡されてしまい、結果、ケラケラと笑い出す程度には酔ってしまった。
帰りはタクシーを捕まえて自宅マンションへと戻ったはずだと
は思っていたのだが、やらかしてしまったのか。百の相棒の家に来てしまっていたのか?
不安になった
が右に左にと首を動かして辺りを見渡せば、ドレス姿で百と撮った写真が壁に飾られている。棚にはRe:valeのCDやDVD、雑誌の切り抜きをまとめたファイルも収められている。不安になることはない。間違いなく、ここは自宅だ。だが、百の姿はどこにもない。
「モモなら夜が明ける前に仕事に行ったよ」
車の鍵を指に引っ掛けてくるくる回す千は、ああそうそう、と言葉を付け足す。
「モモの車が調子悪いみたいでね、僕が送っていったんだ。もう少し寝ていたかったんだけどね」
「……“だったらウチで寝ていきなよ〜”って百が言ったわけだ」
「ご名答」
足を組んで座り直す千に、
はやらかしたわけじゃなくてよかったとホッとした。
「約束通り、食べに行こうか。モモには許可を取ってある。美味しいもの食べさせてあげてって」
お礼をされるようなことなんてした覚えがーーあった。そうだ、確か彼はこう言っていたはず。
「白桃パフェ!!」
「さすがだね。食い意地が張ってーー」
「桃はお高いの! 主婦は節約してなんぼ!」
「そんなに切り詰めなくても食べていけるでしょうに……」
「それだけじゃないの。保険とか車の維持費とか、貯金とか……まぁ、いろいろよ!」
「頑張ってるってことにしておこう」
「そう、頑張ってるの。私を褒めなさい!」
「
ちゃんって朝からテンション高いんだね」
「テンション上げていかないとやっていけないでしょ……。ササッと支度してくるから待っててね」
リビングをパタパタと走ってドアを閉めた
に、千は思わず笑ってしまった。「夫婦は似るって言うけど、本当にそうね」と呟いて。
支度が終わった
を助手席に乗せた車は高速道路を走っていた。店は近場にはないらしい。景色は段々と住宅街やビル群から海へと変わり、長い海底トンネルを通った。トンネルを出れば、先にあったのは陸へと続く真っ直ぐな橋。しかし、車は真っ直ぐに行くことはなく、ぐるりと別の進路を進んだ。
「上のサービスエリアに行くんだ。帰りに木更津に寄ってもいいかもね」
駐車場に着き、シートベルトを外した
はドアを開けた。すると、ビュウっと強い風がすり抜けていくのを感じた。ここは海の上にある日本で唯一のサービスエリアなのだ。風が強いのが特別なことではない。
は千に長距離運転へのねぎらいの言葉をかける。
「
ちゃんもお疲れ様。さぁ、行こうか。“そろそろ”だから」
先導する千について行けば、一面オーシャンビューのテラス席があった。大海原を見ながらの食事とは贅沢なものだ。ウキウキしながらも、
は椅子に座る。千は通り過ぎようとしていた店員を引き止めた。
「白桃パフェ二つ……いや、三つお願いします」
店員は機械を操作し、にこやかな顔で挨拶をしていった。「人気商品のメロンパンもいかがですか?」の押しに「それも三ついただこうかな」と追加注文する千は、案外押しに弱いのかもしれないと
はひっそりと思っているのであった。
白桃パフェがやってくるまではまだ時間がかかりそうだ。そういえば、と
は疑問を抱いたことを千に問う。
「千斗、甘い物そんなに好きだっけ?」
「そうじゃない……もう少ししたら分かるよ」
彼の言う「そろそろ」とか「もう少ししたら」とか、一体何のことだろうか。クエスチョンマークを頭上に浮かべながらも水を一口飲んだーーその時だった。ピカピカのガラス張りに、今朝、姿を見せなかった彼がうつった。
「やっぱり来ちゃった♪」
「そうだろうと思って、初めから三つオーダーしておいたから」
「さすがダーリン! 今日のその服、オシャレだね?」
「どう? デートに見える?」
「うん、もうバッチリ! ダーリンってば本当にイケメン〜!」
「はいはい。ほら、モモ、この会話を聞いて店員さんが困ってるよ」
いつの間にか白桃パフェ三つを運んできた店員から、千はそれを受け取る。百は
の隣に腰を下ろすと頭をぽんぽんとし、目線を彼女に合わせてにっこりと笑った。
「……こうでもしないと、顔バレしちゃうでしょ?」
彼らなりの気遣いのようだ。百が
に触れなかったのは。
「妹よ。今日はお兄ちゃんのおごりだ。たんとお食べ」
「え? 千がお兄ちゃんなの? それじゃ意味なくない?」
「……そうね……」
「あ、あの……早く食べません? 溶けちゃうよ?」
「いろいろと設定考えていたらわけわかんなくなっちゃうよね! うん、食べよう!」
「いや、あのね、百……その会話、ヒソヒソ話しないと意味ないからね?」
「へ? うん、まぁ、大丈夫っしょ〜?」
「大丈夫じゃないっしょ〜?」
「んもう、
ってば、最近オレのマネするの好きだよね?」
「ゆ、千斗……助けて……」
「ま、いいんじゃない?」
幸い、平日の朝の早い時間帯ということもあり多くの人はいなかったが、百の撮影スタッフ陣がしっかりと彼らの会話を聞いていたようで。後日、Re:valeの収録現場では、「百の大切な人」の話題で持ちきりになったのであった。
《終》