事が終わった頃には深夜になっていた。
ぼんやりとする
を風呂場に押し込めて髪と体全身を洗ってやった百は、浴槽に肩まで浸からせながらも自分も体を流した。適当に体を拭いて腰にタオルを巻き、今度は彼女の体も拭いた。丁寧にパジャマを着させた後、ドライヤーで乾かしてから寝室へと促した。
自分も用が済み寝室へ向かえば、間接照明だけを付けた彼女はベッドに腰掛けていた。
生気が感じられない。
無理もない。全てが穢されてしまったわけではなさそうだったが、あんなことをされたのだ。怖かったに決まってる。傷つくに決まってる。
「ほら、おいで。まだ落ち着かないなら、こうやってギュッてしてるから」
を抱き上げて自らの膝の上に向かい合って座らせる。目と目が合いにっこりと微笑む百に、
は涙が溢れた。
「……おねがい、抱いて……っ!」
「今日はダメだ」
「やってよ……もうどうにかなっちゃいそうなんだよ!」
「今日は抱かない。“オレで消毒”したって
が苦しくなるだけだ。また思い出しちゃう……だから」
百はTシャツを脱いで枕元に置くと、
のボタンをゆっくりとひとつずつ外していく。
「
はこれ以上脱がないで? ほら、こうするだけでも……オレの体温、感じるでしょ? オレを感じて。オレだけを感じていればいいから」
ーーこの一連の事件は報道されることはなく、ツクモプロダクションが潰れることはなかった。ZOOLは健在だし、所属俳優もテレビに出演し続けている。だが、社長が変わったと一部ニュースで報道されていた。理由はこうだーー「月雲了前社長・現会長が海外で歌やダンスを勉強したい」からだと。要するに、金と権力で事件をもみ消し、海外に逃亡したのだ。
百は、
の平凡アイドル契約を現社長に取り下げてもらい、ツクモプロダクションとの関係を切らせた。
これでようやく、普通の生活が送れるわけだーー……。
朝日がカーテンの隙間から差し込む午前六時台。百が目を覚ますと、隣ですやすやと寝ていたはずの彼女がいなかった。シーツを触ってみれば、若干、温もりが残っている。時間はさほど経っていないということだ。耳を澄ませば、彼のよく知っているRe:valeの曲で。
「
〜! おっはよ〜〜ん!」
百はベッドから飛び降り、走ってリビングへと向かった。ドアを開けると、ほんのりと焦げたトーストの匂いと、エプロン姿でフライパンを握る
の姿があった。
「おはよう。いつものメニューでいい?」
「うん、何でもオッケー!
が作ってくれるものなら!」
「ふふっ……たまに失敗作あるのに?」
「う〜ん……。
がオレのために一生懸命に作ってくれたんだったら嬉しいよ」
「千斗に習わなきゃ」
「え〜?! だったらオレも一緒にする!」
「“ユキはオレのダーリンだからね!”って?」
「違うから! 違わなくもないけど……違うんだって! 二人きりとかずるいからオレも行くってこと!」
「千斗と二人っきりでずるいっていう意味なんでしょ〜?」
「違うってばー!」
くすくすと笑う
に百もまた笑う。千相手にも嫉妬すると彼女は分かっていないのではなかろうか。モヤモヤしながらも、彼女が笑えば百はつられて笑ってしまうのだ。
冷めないうちに食べよう。
がキッチンからダイニングテーブルへと移動すれば、百もまたいつもの席に座った。手のひらを合わせてから食べ始めると、
は目に涙を浮かべて微笑んだ。
「フツーでいいの……フツーでいられることが幸せなんだって改めて思ったよ。“平々凡々”で何が悪いんだ、ってね」
ここまで言えるように回復してよかった。百は安堵しながら、コショウのかかった目玉焼きを口に運ぶ。カフェオレで喉を潤した後、続けてトーストを頬張った。時刻は午前七時半。支度をして家を出なければならない時間なのだ。
最後の方はかきこんでむせてしまったが、
に背中をさすられながらも完食した百は食器を下げた。一方、
は食べ終わってはいなかったが一緒に席を立ち、玄関へと向かう。いつものお見送りだ。靴を履き、振り返った百はこれまたいつもの決まり文句を言うのだ。
「じゃあ、行ってくるね! 行ってきますのちゅー!」
《終》