潜入捜査初日だが分かったことがある。狗丸トウマ。彼はわりと普通だ。
あのZOOLだからと身構えていたけれど、トウマは話せば比較的常識人に見える。応接室からここに連れて来られるまでは「常識人を演じているだけ」かと多少なりとも警戒はしていたが、さっきの話と今までの態度から、もう彼に対する警戒は大方解いてもいいだろう。
月雲了はRe:valeの百と
が夫婦関係ということは既に調べ尽くしてあるだろう。だが、狗丸トウマがRe:valeを尊敬していることは知っているのであろうか? せいぜい、以前仕事をしたことがある、というチープな情報だけだろう。
百曰く、「情報を得るのがすごいけど、どうでもいいことに対しては切り捨てていくから」と。つまりは、「狗丸トウマがRe:valeを尊敬している」という情報は、こちら側の強みになる。それが大きいものになるかどうかは分からないが。それでもだ。初日にしては良い収穫だったのではないだろうか。
交友関係の広い百が随分と前の、ほんの十数分しかないコーナーのゲストに出ていた当時の彼を覚えているかは微妙なところではあるが、自分から話しかけてあの写真を見せたのならば心配はいらなそうだ。
は未だに深々と頭を下げているトウマにくすりと笑う。
「だから……百さんのサインを……!」
これは、仲を深めるチャンスかもしれない。自分の本格的なアイドル活動はまだ先の話だ。ツクモプロダクションに出入りするのも頻繁ではないだろう。少々強引だが、やってみる価値はある。
はグッと手を握りしめて、悟られないようにしつつもトウマに返答する。
「そうね〜」
「
さん!」
「ふっふっふ……Re:valeの百のサインが欲しくば、私と契約しなさい!」
「なっ……?!」
顔を上げてきょとんとするトウマ。
は咳払いをして続ける。
「トウマくん、次の休みいつ?」
「あ……五日後の土曜日……」
「じゃあ五日後の土曜日、私とお買い物デートしましょ?」
「は?! なんで俺があんたなんかと、デ、デートなんかしなきゃなんねえんだよ」
「百のサイン欲しいんでしょ? それに……トウマくんとただ仲良くなりたいだけだから」
「……仲良くなりたいだけ……」
トウマは思わず彼女の言葉を反復する。まんまと乗せられているのではとも勘付いてはいたが、相手は自分の尊敬するRe:valeの百の大切な人だ。きっと、悪い人間ではない。トウマは彼女に会う直前、月雲了に「必要以上に
という人間に関わっちゃダメだよ。彼女は餌だから」と告げられていたのに、それはもう頭の片隅へと追いやってしまっていた。
「うん、そうだよ。直感なんだけどね……百と同じ感じがしたから。ってことで、土曜日! 午前十時、明治神宮前に集合ね!」
ーーと強引に場所まで指定した数日前。
いなかったらどうしようと考えつつも「せめて近くまで送らせて」と押し切られ、百の運転する車の助手席に
は座っていた。
本音を言えば、勿論、百は今すぐにでもこの作戦を中止してほしいし、月雲了と交わしたアイドル契約も破棄してほしい。そもそも、月雲了という男に関わらないてほしかった。間違いなく、
を危険にさらしてしまうからだ。だが、ヤツが
ーー“春原
”に目を付けてしまった。頭のキレるヤツのことだから、「平凡アイドル」という名目を使っただけで、本当は裏に何かある。もしくは、“春原
”という人物を雇うという形でモノにしているのか。
ここまで考えて百は止めた。これ以上、考えてどうする。最悪の事態にならないように、最善策を選んでいけばいいだけだ。
「
〜〜、ほんとに行っちゃうの?」
「うん、行くよ。トウマくん、待ってるかもしれないし」
「……わかった。待っても来なかったらまた連絡して? あっ、でもでも! お買い物してる時も連絡して!」
「怪しまれるよ〜?」
「うぐっ……そうだよね」
「まぁ、でも、少しだったらラビチャ出来るよきっと」
膝の上に置いていたスマートフォンを顔の前でひらひらとさせてから、
は小ぶりのバッグにしまう。
「行ってくるね、百」
「……いってらっしゃい、
」
百は車のドアロックを解除する。
がドアを開けて歩いて行くのを見守ってから車を走らせようとしていたのだが、咄嗟に
の腕を掴んで自らの方へ引き寄せる。
「帰りもちゃんと連絡入れないと、モモちゃん怒っちゃうからね」
「ふふっ、分かってるって」
「……
が心配なんだ!」
「うん、わかったよ。ちゃんと連絡入れるから。また迎えに来てくれる?」
「そんなの当たり前! ああ〜〜っ! 離したくないけど、いってらっしゃい〜」
の唇にやさしく触れるくらいのキスをした百は名残惜しく彼女を離した。パステルピンクとラベンダーのチェック柄ワンピースに白いパンプスを履いた可愛い彼女。このおめかしが自分に向けたものではないことに腹立たしさを感じつつも、立ち止まってまた手を振る
に百は顔がほころんだ。
《15話へ続く》