桜の木の下で君に告げる<12>


 をつけていた男は名乗ることなく「ついてきて」と一言があっただけで。見知らぬ相手について行っていいものかと思ったが、違うのだ。ついて行かないといけないのだ。はかり間違えてはいけない。自分はーー脅されている。

「そんなに警戒しなくてもいいのに」

 飄々と言うが、顔が笑っていない。何なんだ、この男は。一緒にいるだけで寒気がする。は一刻も早く帰りたかった。泣きそうになるのを堪え、ギリッと奥歯を噛めば鉄の味がした。


「着いたよ、ここがロビーだ」

 男が言った方を見やれば、それは、芸能界に詳しくなくても誰しもが一度は聞いたことのある名が刻まれていて。ーー月影芸能/ツクモプロダクション……古株だ。ということは、この男は、前社長の息子で現社長ということか。
 そういえば、以前、酔った勢いの百が言っていた。「了さんによくしてもらったのが間違いだった。見る目がなかった」と。人が大好きな彼にこんなことを言わせる人物なのだ。は身構えつつも、案内された応接室へと入った。
 応接室は茶色が基調の落ち着いた雰囲気の部屋だった。一見万人受けしそうな部屋ではあるが、棚には銃や刀、動物らしき骨格の透明標本、どこかの国の手土産ではあろうが奇妙なお面までもがある。

「僕の趣味だよ。他にも、ほおら、観てご覧よ。手裏剣だって縄だって……あっ、こんなものまであるんだから驚いちゃうよね?」

 わざとらしい。は彼のペースに持っていかれないように相槌はしつつも話を半分半分に聞いていた。それでもだ。話術の長けている彼に耳を傾けてしまう。クローゼットの戸をがらりと開けてに中のブツを見せ、ニヤリと笑う。

「どう? 生で観たことある? アイアンメイデン……レプリカだけど」

 コンコンとそれを叩いて「この中は開きませんよ」アピールをする。それだけでは本当に開かないのかわからないじゃないか、とツッコミを入れたくなるが抑える。

「……そ。じゃあ、本題に入ろうか」

 やーめた、と言わんばかりに彼は思いっきり戸を閉めて、今度は棚の引き出しをおもむろに開ける。手にしていたのは書類だ。おそらくA4用紙。
 ソファーに腰を掛けることもなく立っているはふと壁時計を見れば、時刻は午後四時半を回っていた。左肩から提げた買い物バッグに入った食材を使って今晩の料理を作る時間になっている。今日の帰りは六時頃だと言っていたからお惣菜を買って帰ろう。ため息を吐くに対し、「あっ、これこれー」とスキップをしながらやってくる。

「はい、これ。明々後日までに書いてね。ちゃんのお買い物帰りに僕と僕の仲間たちが取りに行くから。あっ、そうそう。逃げようとか考えたら新居に仲間たちが行っちゃうからねー? 仲間たち、とーってもこわーいお兄さんだから気をつけてね?」

 アイアンメイデンを見せたことも脅しているのと何ら変わらないではないか。言うことを聞かねばどんな手を使ってでも殺るぞ、と。こわーいお兄さんというのも、おそらくはーー。は身震いをしつつも乱暴に彼の手から書類を受け取ると、そそくさと応接室を後にした。




 六時ぴったりに帰宅した百は珍しく出迎えに来ない彼女が気になり早歩きでリビングへと向かえば、その彼女はソファーでぐったりとしていた。理由を聞けば、目を付けられてしまったという。まさかーー。

「もしかして、了さん?」

 こくり。頷くに、百は手が早いなと舌打ちをする。そうではないで欲しいと願ったが、やはり月雲了だったのか。

「……了さん、なんて?」
「アイドルやらない? ってさ。明々後日までに書類書いてって」

 は買い物バッグから水色の封筒をつかんでサイドテーブルに置く。

「絶対にダメ。ダメなものはダメ! 了さん、何を考えてるのかわかんない人だよ?! を危険な目にあわせたくなんかない!」
「でも、散々脅されたんだよ?」
「それでもだ! オレに矢が飛んでいくのは構わない! 芸能界を辞めることになったっていい!」
「も、百……」
「詳しくは話せないけど、TRIGGERの3人にも犯罪まがいのことを平気でしたんだ。が安全でいられる保証はないんだ! ああ、でも、断っても結局は……ああっ、もう!」

 首にかけていたタオルを投げ捨てる百。頭を抱えて項垂れた。

「……私、スパイになる」
「は?! 今、なんて……?」

 百は勢い良く顔を上げる。

「百が悩んでるの知ってる。敵の情報、あったほうがいいでしょう?」
《13話へ続く》

>>2018/04/18
話上、了さんは悪い役になります……。彼のアイナナタイトルコールがとても好きです(アプリ)。