「よし、じゃあさ、とりあえず敬語はやめにしない?」
「うん。僕もそれがいいと思う」
一通り自己紹介が終えたところで、二人の「拒否権なんてないから」攻撃により
はしぶしぶ敬語をやめた。同い年と年下だけど、男性アイドルという自分とは違う次元の人物だし、何にせよお世話になっているし。いろいろと言い訳をしたが作戦は通用しなかった。
「はい……あっ、う、うん……じゃ、じゃあ! 私が夜のご飯作ります!」
「マジで?! 女の子の手料理?! 楽しみだな〜!」
せめて、と提案した料理します宣言に百は男子高生のようにきゃっきゃと喜んだ。それに対し、千は無言になってしまう。作ってくれるのは気持ち的には嬉しいのだけれども。以前と変わっていなければ、彼女の料理はーー。いや、一応、結婚しているのだ。毎日料理して腕が上がっているはず。
「楽しみにしてるよ」
家庭科の授業の時のようにはなるまい。期待半分、不安半分で千は数時間後のキッチンの状況を想像した。
ーー大丈夫だった。
大惨事にはならなかった。食器が割れることも、フライパンから火が出ることも、皿に乗せた料理が吹っ飛んでくることも。何事もなく終わった。ホッとした千が出来たての料理が並ぶテーブルを見やる。
「あ……これはーー」
これ以上は言葉が出なかった。
確かに、以前よりは進歩していた。きちんと完成形の料理が並んでいるのだから。だが、見た目があまりよろしくはなかった。不揃いにカットされたトマトと分厚いキュウリとマカロニのサラダ。身が崩れたカレイの煮付け。少し厚切りの玉ねぎが入った味噌汁。まだこれらは問題ないだろう。
「……
ちゃん、これは……?」
百が手にしたものーーもやしの炒めものが少しばかり問題だった。本来ならばあんかけみたいにトロトロになる予定だったのだろう。それが、透明のもちのような塊になっている。突けば弾力があり、いかにもかたそうだ。見た目は悪くはないが。
「ご、ごめんなさいっ! 料理、実はあんまり得意じゃなくて……やっと少しずつ出来るようになったばっかりで……そ、その……片栗粉を入れすぎてしまって……」
これは食べなくていいです! 見た目だけで味わってください! あ、やっぱり見ちゃダメ!
そう言い顔を手で覆い隠そうとした時、千は箸を手にしてそれをおもむろに掴み口に運んだ。
「ちょ……っ、千さん……」
「ん……味は大丈夫。美味しいよ」
「え、や……でも……!」
「食べないのなら僕が食べてもいい? いっぱいは食べ切れないけど」
咀嚼すれば、数年前の調理実習を思い出す。なかなかの大惨事で先生に怒られたんだっけ。連帯責任とか何とかで僕にもとばっちりがきてさ。放課後に仲良く大掃除と反省文書いたな。
この時もだけれど、味は悪くはないんだ。ちょっとね、ズレてるんだ。これも一種の才能なのかなと千はもやしを突っつきながら、彼女の反論に耳を傾けていたのであった。
共同生活を初めて早2週間が経とうとしていた。
はある日、話さなければいけないとお世話になっている千と百、そして岡崎マネージャーに時間を作ってもらい簡潔に言った。ある実業団の男に家の借金を肩代わりしてもらったと。その男の息子と無理矢理に夫婦関係にさせられたと。籍は入れていないから仮初なのだと。
「家を助けてもらったことに対しては感謝してます。でも、もう……疲れてしまったんです。生きることにも」
慰める方法が分からず百は困惑する。千をちらりと見れば、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
は俯きがちに続ける。
「そんな時、おふたりのライブに行きました。許可を得て、ですけど。開放された気分でした。あの空間にいた時の私は幸せでした」
涙を溜めて笑う彼女は痛々しくて、千は見ていられなかった。
《6話へ続く》