紫陽花を君と彩る<10>


 環くんにあんなことを言ってしまった。
 僕だって同じだ。彼女を好きになってしまったんだ。

 初めて彼女と会ったのは、しとしとと降る雨の日だった。MEZZO"の撮影帰りに事務所に寄ったら、スーツ姿の女性が見えた。ちらと見えた手元のメモに「小鳥遊事務所、面接」の文字が読み取れたから声をかけたんだ。それに、顔色も悪かったから。

 彼女が僕たちのマネージャーになると小鳥遊社長から聞いて、正直複雑だった。環くんは前々から嫌だって言っていた。それに僕だって、急に見ず知らずの人にマネジメントをお願いしてあれこれやってもらうってのも調子が狂いそうだって思ったしね。意見が合った時、凸凹なMEZZO"が真っ平らになった気がしたよ。
 出来るものなら断りたかったんだ。社長の話でも。彼女を目の前にしていても。それでも、それが出来なかったのは、彼女の屈託のない笑顔と、勢いが良すぎるあの挨拶のせいかもしれない。
 
 そんな彼女のマネージャーの仕事ぶりは、お世辞にもいいとは言えなかった。
 車の運転があまり得意ではないようで一方通行に突き当たってはぐるぐると遠回りをするし、車線変更の時なんて車体が大きく揺れることもあったりする。彼女の危うい運転で何度も時間がギリギリになった。それに、環くんの持ち物とよく間違えていた。王様プリンTシャツなんて着たことがないのに、それがバッグの中に入っていた時なんてビックリしたよ。おまけに、何もないところでよくつまずくし。
 初めの頃と比べたら、随分とよくなったよ。きっと、何回も運転したんだろうね。後部座席に乗っていてヒヤヒヤすることが少なくなった。環くんなんていびきかいて寝るくらいだしね。環くんが寝ている間、彼女とルームミラー越しで会話するのが、僕の日常になっていたのもこの頃からだ。同い年だって大和さんから聞いて、それを元に話を繋げていけば上手く話せるんじゃないかって思ったんだ。


 さんとの車内での会話が増え始めた頃かな。恋心が芽生えたのは。
 書類の間違いに気付いて徹夜で直したとか、万理さんにお茶をこぼしてしまって拭こうとした手にしたものがタオルではなく自分の上着で大慌てだったとか、今日もテーブルとこんにちはしちゃったとか。彼女のいつも全力で一生懸命な所にだんだんと惹かれていったんだ。

 時を同じくして、環くんにも変化があった。彼を見ていれば一目瞭然だ。その原因が彼女ということにも。
 環くんの純粋な気持ちを見守りたくて、自分のこの気持ちには一度蓋をしたこともあったんだ。僕なんかがこんな気持ちを持ったらいけないって。いつか気持ちを押し付けてしまうかもしれないって。勘当はされたけど僕は逢坂の人間だ。変なことに巻き込みたくもなかった。
 だけど、環くんの近くにいればいるほど彼に影響されて、蓋をしたはずの気持ちがどんどん膨らんでいって。次第に、持ち得ていなかった独占欲も生まれた。
 彼女とたくさん話したい。
 彼女とたくさん時間を過ごしたい。
 もっと、もっと。僕だけを見て。
 君の視界に入るのは僕だけでいいんだ。
 醜い感情も入り交じる中、彼女に嫌われないようにどうにか平静さを保っていたんだ。


 そんなある日。彼女が倒れた。
 撮影中、カメラの奥で。今にも飛び出していきそうな環くんに目で訴えて抑えてもらった。でも、僕だって今すぐに駆け寄りたかったんだ。手のひらの冷や汗が止まらないくらいに動揺していた。撮影が終わった瞬間、環くんがスタッフを質問攻めにして情報を聞き出して一緒に病院へ向かった。
 今でも、嫌でも思い出すよ。白くて細いさんの腕に点滴チューブがつながっているのを。
 ちょうどその時は力なく眠っていたものだから生気を感じられなくてね。僕は腰が抜けてしまったんだ。環くんに体を支えられてさんの傍まで行ったら、ゆっくりと静かに胸が上下に動いているのが分かって、僕は生まれて初めて人前でみっともないくらいに泣いたんだーー……。



「体はもう平気? 無理してない?」
「うん、大丈夫です。心配症だね、壮五くんは……」

 困ったように笑ったさんは電気ケトルで沸かしたお湯をカップに注いでいた。
 此処は彼女の家。退院後、一人にさせるのが心配になった僕たちは出来る範囲内で彼女を見守ろうと家にお邪魔することにした。初日は環くんもいたけれど、「もう自分の気持ちに嘘付くなよ」って頬を引っ張られた次の日からはちょこっと顔を見に来る程度になった。僕はと言うと、昨夕「もう大丈夫だから」と事務所に行こうとしていたさんと彼女のアパートの玄関で遭遇して。「そんなフラフラしている君を行かせるわけにはいかない」と言い放ち、彼女を強引に家に押し戻した。このままだといつ隙をついて行くかわからなかったから、「今日、急だけど泊まらせてもらうね」と釘を打つように言ったんだ。つまりは、初めて女の子の家で二人きりで一夜を過ごしてしまった。
 環くんにはえらそうに言っちゃったけど、自分だって答え合わせをする必要がある。「逢坂壮五はMEZZO"マネージャー・が好きか」の答えは間違いなくイエスだ。

「あ……ごめんなさい。ミルクティー、苦手だったのかな」

 口の中に広がっていくミルクと紅茶のやさしい味は、まるで、彼女の優しさだ。目を閉じれば心地よい何かに包まれている気分になる。
 僕はもう一度ミルクティーで喉を潤してカップをテーブルに置く。首を傾げるにジッと見つめ返せば、可愛らしい唇で僕の名前を呼ぶ。

「あのね、さん……僕は一生懸命な君が好きだよ」



“ーーこの紫陽花、水彩絵の具で紫にしてみない? もちろん、ピンクもいれるよ。隣にね。だって、今もそうでしょ? 僕の隣には必ず君がいるから。これからもずっと”
《壮五End》

>>2018/05/19
環Endとどこか似ているような内容にしてます。
これにて本編更新終了です。ありがとうございました!