紫陽花を君と彩る<8>


さん、大丈夫? 最近ぼんやりとしていない?」
「え、あ……そ、そんなこと……」

 迂闊だった。
 事務所の給湯室に看板アイドルとして頑張ってもらっているMEZZO"の逢坂壮五が、まさか入ってくるとは思わなかった。は七分程前に入れた緑茶をひとくち飲んでから、そんなことないですと再び答えれば、壮五はどうも納得がいかずに彼女に詰め寄る。

「給湯室に入ってから、もう十五分くらい経ってるよね?」

 まさか、入ったところから見られていたとは。笑ってごまかすも壮五にはそういった類のものは効かない。

「……この間のことなんて気にする必要はないよ。僕が勝手にやったことだし、それに……僕も、環くんも、今の君しか知らないんだ。“今”を知っていればそれだけで十分なんじゃないかな?」

 にっこり笑って給湯室を後にする壮五。耳を澄ませば「そーちゃん遅い!」と環の声が聞こえてきた。「ごめんね」の次に「あいつ、どうだった?」の声も。
 うぬぼれてもいのだろうか。初めの頃と比べたら、MEZZO"の二人と信頼関係が築けてきたということに。あんなに刺々しかった環が、に心配の眼差しを向けている。壮五との距離も近くなった気がする。それに、今朝の置き手紙だってーー。彼らが事務所に入ってきた瞬間に駆け込むように給湯室に入った自分が馬鹿馬鹿しく思えた。火照る顔に水道水で濡らしたタオルを当てたはふぅと息を吐いた。




 午後からは撮影が入っていた。MEZZO"が深夜帯に放送しているバラエティ番組のゲストとして呼ばれたのだ。
 車を走らせたは初日のようなミスをすることなく、時間に余裕を持って到着した。降車スペースに停車すれば、二人はすたすたと迷いなく関係者入り口へと向かっていく。かと思えば、はたと立ち止まって来た道を一歩だけ戻る。忘れ物でもしたのかと電話で確認しようとした時、ひかえめに手を振る壮五と頭の横でひらひらと気だるそうに手を振る環がいて。は「またあとで」と両手で大きく振った。

 洗車と給油を終えたがスタジオ裏へ着いた頃には、台本で言う終盤のページに差し掛かったところだと「STAFF」と刺繍された帽子にメガネをかけた若そうなスタッフが教えてくれた。どうやら、収録は順調に進んでいたようだった。
 あと三十分もしないうちに終わるかな。撮影陣の邪魔にならないように隅の方へ移動しようと断りを入れれば「でしたら、あちらの椅子に座っていてください。テーブルもありますんで」と案内された。普段なら端っこで立って待っていられるが、今日ばっかりはそうもいかなかった。朝から体の調子がおかしいのだ。「すみません」と頭を下げ、ありがたく椅子に腰を下ろす。

「いえいえ。あまり元気そうには見えなかったので……」
「すみません……二人に、こんな顔、見せるわけにはいかなーー」

 傾くの体。それに気づき受け止めるスタッフ。受け止めた衝撃で帽子が床に落ち、深緑色の髪がはらりと揺れた。

「……ぶっ倒れるまでやんなきゃ分かんねえのかよ。この馬鹿ーー」



 が倒れた一方で、MEZZO"の二人は撮影をこなしていた。勿論、カメラ奥の騒ぎに気が付かないわけではない。「行ってはダメだ」と目で言われて思いとどまる環は、ソファーに座りトークを続けつつも膝を押さえつけていた。
 収録が終わるや否や、環はスタッフに攻め寄る。

「マネージャーは……は、どこだ……っ!」

 たじろぐスタッフに壮五が付け加える。

「さっき倒れたの、僕たちのマネージャーなんです。今はどこに?」
「あ……確か、この近くにある大学病院に搬送された、と聞いてーー」
「ちょ……た、環くん!」

 スタッフが言い終わる前に病院名が聞けたら十分だ、と言うように環は壮五を引っ張っていく。

「おっさん、ありがとな!」


 病院に着くなり、環の受付へと殴り込みに行くくらいの荒々しさを感じた壮五は「待って」と腕を掴んだ。

「そーちゃん、離せ! んとこに行かなきゃなんねえんだ!」
「わかってる。わかってるよ、環くん。でもここは病院なんだ。彼女だけがいるわけじゃない。周りを見ないと……」

 大声を出した環に視線が集まる中、壮五はぺこりと頭を下げた後、再び環と向き合う。

「……心配なんだね。彼女に対して矛先を向けていた君が……」
「違っ……!」
「違わない。だって、環くんは、自分に正直な人だから。嘘が付けないんだ。さんが心配で心配でしょうがないし、本当は好意だってちゃんと持っているんだ。それが恋愛感情があるか、ないかは環くんにしかわからないことだけどね」
「お、俺は……」
「ゆっくり答え合わせをしていけばいいんだよ。焦らなくていいから、ね?」



 過労と発熱、貧血。医者にそう診断されて二日間の入院で帰宅が許された。退院の日、「迎えに来た」と言ってベッドに座っていたの膝裏に腕を入れてひょいっと横抱きにする環にジタバタと暴れてみれば、「大人しくしてね?」と笑う壮五はズボンのポケットから白いラベルが貼られた茶色の小瓶を取り出した。

「そーちゃん! 病人にタバスコ、禁止!」



“何色で染めようか。色付いていない紫陽花をーー”
《9話:環End》
《10話:壮五End》

>>2018/05/15
サイドストーリーに話の補完をしているところもあります(予定)。