紫陽花を君と彩る<7>


 自室の窓から満月の浮かぶ夜空をぼんやりと眺めていた壮五が思い出したようにカバンの中を漁り始めた。ーーない。マネージャーから撮影の見本にと手渡された雑誌が。何も持たずに部屋を飛び出した壮五は一目散に環の部屋のドアをノックもなしに押し入る。「環くん! 雑誌がないんだ!」と彼の腕をつかみ、喚く環をもろともせずずんずんと廊下を進んでいった。


 事務所の明かりはある一点にだけついていることから、誰かが残業をしていることは入らずともわかった。

「こんばんは。夜遅くにすみません。忘れ物をしてしまって……」

 壮五が挨拶をしながらも、デスクライトがついている方向へと会釈をする。ほら、やっぱりだ。ライトや棚の上に置かれたIDOLiSH7のぬいぐるみに囲まれているあのデスクにいるのは。
 彼女の邪魔にならないように捜し物を置き忘れたであろうソファー横のテーブルを見やれば、数時間前の状態のままだった。よかった、まだあって。ホッとした壮五が後方にいる環に帰ろうと声をかけようと振り返れば、彼の姿はそこにはなかった。どこに行ったのだ、彼は。辺りを見渡せば、一点だけ照らしているライトのおかげですぐに見つかった。

「環くんダメだよ、彼女の邪魔をしたら……」

 壮五の声にハッとした環は勢い良く振り返り、人差し指を口元に当てて「静かに」と訴える。慌てて口を噤んだ壮五が覗き込むように彼女を見れば、キーボードに手を置いたままこっくりこっくりと船を漕いでいた。PCのディスプレイはスクリーンセーバーになっていることから、彼女がPCを触らない時間、つまりうたた寝をし始めてから随分と時間が経っていることが読み取れた。

、寝てる」
「……うん、寝てるね。ファンクラブサイトを立ち上げるって言ってたから。疲れちゃったんだよ」
「そんなに急いですることか?」
さんは頑張り屋さんだから……」
「ふーん?」
「でも、ありがたいね。早ければ早いほど、それはいい基盤になるから。MEZZO"をもっと知ってもらえるから」

 それだけ忙しくなるだろうけれど、忙しいうちが華だ。その忙しさが後々のIDOLiSH7のデビューへと繋がるのだ。MEZZO"として、IDOLiSH7の先駆けとしてやっていかねば。必ず成功させなければ。
 ファンとの関わりがもてるファンクラブサイトの作成は必要不可欠だ。そのサイト限定でMEZZO"のブログも公開されることになっているし、マネージャーのとっておきの一枚と題したコーナーでも、オフショットが公開される。IDOLiSH7がメジャーデビューをするまでは一般会員も閲覧可能とするらしく、目的は「MEZZO"を老若男女問わずに知ってほしい」とのことだ。

「置き手紙でも書いておこうか」
「……めんどくさ」
「そう言いつつも、ペン握ってるよね」
「そ、それは……! その……お、おつ……王様プリンをーー」
「“お疲れ様”って書こうとしてたんだよね? 僕に見られたくないのなら後ろ向いてるから。ね?」
「あー、もう……わかった、わかったって!」

 素直じゃないなあ。本人には聞こえないように呟いた壮五はくるりと背を向ける。「そーちゃん、絶対に覗いてくんなよ!」と念押ししたところで、環はのデスクのペン立てにあった青いペンを再び手に取り、電話口のメモ帳から一枚ちぎった。たったの四文字と旗を振る王様プリンを書き、ポケットに入れていた栄養ドリンクを文鎮代わりに置いた。
 壮五も持参していたメモ用紙とペンを胸ポケットから出してつらつらと書いていく。「そーちゃん、出来た?」の環の返事を合図に先ほどのメモ用紙をカード立てに挟み、夜は冷えるといけないからとブランケットをかけた。



 窓から差し込んできた光で目が覚めたは、肩からかけられたブランケットと、デスクに置かれた栄養ドリンクを見てため息をついた。一晩で片付けるつもりだったのに。八割はファンクラブサイトが出来上がっていたはずだから、もう一晩頑張れば終わる。よし、と意気込み栄養ドリンクをぐいっと飲む。
 一息ついたところで王様プリンカード立てに挟まっていたカードに気づき、目を通せば「いつもありがとう。頑張りすぎないでね」と。細い字で丁寧に書かれたメッセージはおそらく逢坂壮五からだ。ハッとして、今飲んだ栄養ドリンクを見れば、これは自分が買い置きしていたものではないと気付いた。よくよく見れば、何も書かれていないメモ用紙が一枚デスクにあった。手に取れば薄っすらと文字が並んでいるのが分かり、ひっくり返してみれば、それが何かを解読することが出来た。こちらも宛名はなかったが、王様プリンを好んで描く人物なんて一人しかいない。

「壮五くん、環くん……っ!」

 誰もいない事務所で一人、は声を漏らして泣いた。
《8話へ続く》

>>2018/05/11
置き手紙っていいですよね。