紫陽花を君と彩る<4>


「……あんたさぁ、足、速いんだ」
「へ?!」
「ここから見てたんだ。外、暗くなってきたねって。そしたら凄い勢いで走ってくるスーツ姿の女性がいたから」

 見られていたのか。スカートスタイルのスーツで全力疾走する姿を。この距離からでは必死な顔は見られてはいないとは思うけれども。それでも恥ずかしくて穴があったら入りたいくらいだ。はカバンで顔を隠そうとするも、職場で取るべき行動ではないと思いとどまる。

「みっともない所をお見せしてしまいすみません。傘を持っていなかったので……」

 苦笑するに環は「違う」とつぶやく。

「違う……。俺が言いたかったのは、あんたの足が意外にも早くてかっこよかったってこと! みっともないとか思っちゃいない」
「そ、それって……」
「うん。環くんはね、君を一番に見つけたんだ。“あれ、じゃね?”ってね。君の第一印象がおっとりしていたものだから、まさか、走るのが速いだなんて思ってもみなかったんだ」

 壮五がごめんねと笑って弁明をする。それに対し、そんなことないと手を真横に振った。
 彼らの言うように、は“意外にも”足が速い。それは、普段の言動と比べれば誰しもが口を揃えて言うだろう。あれだけ手足を機敏に動かせるのであれば、普段の言動もきびきびとすればいいものを。
 一言で表すのなら、彼女は“トロい”のだ。それを“慎重”とみるのかどうかは時と場合にもよるだろうが。
 昨日、大和に言われたことを思い出したは「すみません」と口にしてしまい慌てて言葉を濁す。

「す、あ、あ……ありがとうございます……」
「お、やっと言った」
「へ?」
「“ありがとう”って。あんた、いつも“すみません”だから」

 そう言うと環はニカっと笑い、に手を差し出す。

「俺たちのマネージャー、よろしくな」
「は、はい……っ、よ、よよ、よろしくお願いしますっ!」
「こちらこそ、よろしくお願いします。さん」

 垂直に腰を曲げて、手は環と握手を交わす。
 リーダー・大和の言ったとおりだ。彼は素直でいい子ではないか。どうか、これからも和やかな雰囲気で彼らと上手くやっていけますように。そう願わずにはいられなかった。



 ーー朝のあの和やかな雰囲気よ、帰ってこい。
 スタジオに移動中の運転席で、は気まずい雰囲気と戦っていた。
 一緒に回れなくてごめんねと事務員の大神が彼女に謝ったのが午前九時。これだけ売れているアイドルグループを抱えているのに、小鳥遊事務所には事務員等が少なく、マネージャーへの負担もそれなりにあった。送迎の仕事もそのうちの一つだ。事務所の所有する軽自動車がMEZZO"の足とは驚きだ。公共交通機関を使わないだけマシといったところか。
 けれども、自動車運転免許を持ってはいるも、たまにしか運転をしない彼女にとって、この大都会の運転は困難を極めた。三車線、四車線は当たり前の広い道路。行き交う車や歩行者の多さ。入り組んだ道に、一方通行の数。事務所から一番近いスタジオだというのに、徒歩や自転車では気にもとめない一歩通行の標識に度々ひっかかってしまい、大回りをするうちに時間が迫ってきてしまっていた。

「時間がない……! マネージャー、ちょっと急いで!」
「す、すみません! 目の前にあるのに……」

 そして、いつの間にか道路工事のための渋滞にも巻き込まれ、車は思うように進まなくなってしまった。スタジオは道路反対車線側にあるテレビ局だ。数メートル先の歩道橋を渡ればすぐだ。人目にはついてしまうが、そうも言ってはいられない。

「環くん、走っていくよ」
「え、そーちゃん、マジ?」
「マジです」
 
 靴を脱いでいた環を急かして身支度をさせた壮五は、ルームミラー越しでと会話する。

「マネージャー、ありがとう。ここで降ろしください」 
「で、でもっ……こんなところで降ろすわけには……」
「収録に穴をあけるわけにはいかないんだ。分かるよね……?」
「は、はい……ごめんな、さ……っ」

 涙で視界が滲み、頭は真っ白になってしまう。やらかした。大きなミスだ。

「……ごめん。強く言ってしまって。僕たちは大丈夫だから。ね? 走れば間に合うから」

 行ってくるね。
 ぼそりと呟いた壮五は前後を確認し、後部座席のドアを開ける。次いで環も素早く降りる。二人がどんより雲の小雨の中を傘もささずに駆けていくのを、は泣きじゃくりながらも只々運転席から見ていることしか出来なかった。
《5話へ続く》

>>2018/05/07
ちょこっと環のデレ回。都会の道は運転したくはないです……。