と大和は小鳥遊事務所から徒歩十分のところにある小さな喫茶店にいた。自分の行きつけなんだと彼は笑って言う。
「そ、そうなんですか……」
「こうみえてお兄さん業やってるからねー。息抜きってやつ」
「息抜き……」
「そ。息抜き。
ちゃんって言ってたっけ。歳いくつ?」
「は、二十歳です」
「ソウと同じか……って、あんた、俺とハジメマシテじゃ……ないよな?」
身を乗り出してまじまじと
の顔を見る大和に、気恥ずかしくなり目を逸らしてしまう。まさかそんなはずはない。頭の中の引き出しをどんなに開けても、彼の情報なんて「IDOLiSH7の二階堂大和」しか出てこないのだ。自分が一方的に知っていても、彼が自分を知っているだなんてあり得ない話だ。それなのに、大和は一人だけ納得した顔をしてうんうんと頷いた。
「あ、あの……何かの間違いじゃ……」
「いいや。間違いじゃないさ。IDOLiSH7が結成される前のーー少し前の話だ。夜の十時くらいだったか、居酒屋の近くで酔っ払いに絡まれたろ?」
「酔っぱらい……あっ!」
思い当たりがある。そうだ。職探しに疲れてデザートを買った帰り道、大衆居酒屋さんから出てきたひょうきんな酔っぱらい若者集団に絡まれたことがあった。
悪そうな人には見えなかったが断っても断っても懲りずに誘ってきて困っていた時、隣接のコンビニからやってきた人物に助けられた。「待たせて悪かったな」と自然な流れで“彼氏のフリ”をしてくれたのだ。深々と礼をした
に、「あのままついて行ったら間違いなくヤラれてるぜ? 気をつけるんだな、お嬢ちゃん」と手をヒラヒラと振って立ち去っていった。帽子を目深にかぶっており、マスクもつけて顔なんてよく見えはしなかったが。
「あ、あああ……っ、あの時のお兄さんでしたか! すみません、あの時は助けていただいてありがとうございました……っ!」
「いいっていいって。礼なんて一回で十分だって」
「本当にありがとうございまーー」
「ほら、またそうやってると頭ぶつけるっての」
テーブルとの距離がゼロになる前に大和は
の額を手のひらで受け止める。「あっ、すみません」と笑顔で謝る
に、大和は「やっぱりか」とため息を漏らした。
「へ……? 二階堂さん、やっぱりって?」
「大和でいい。……
ちゃんさ、“すみません”って言い過ぎ」
「あ……す、すみませーー……」
「ほら、言った。それに、そうやってぺこぺこ謝り過ぎ」
「そ、そんなこと……」
「あるさ。タマの相方もそうなんだけどな。まあ、要するに、もっと気楽に生きてみなよってこと。あんた、自分に自信がないんだろ?」
図星だ。二度しか会っていないのにここまで人間を分析してしまうだなんて。目を伏せた
に、「行動までも似てるな」と消え入る声で言う。ハッとして大和を見る
の視線を感じ「何でもない」とすぐに入れ、話題を戻す。
「単刀直入に言う。タマはあんたみたいな性格が嫌いだ。昔の嫌な記憶が呼び起こされるからだ。タマはああ見えて素直でいい子だ。言葉も態度も獣みてえだけどさ、あれは自己防衛のためなんだ。これからMEZZO"のマネージャーとしてあの二人に付くんだろ? 大変だと思う。でもな、忘れないでほしいんだ。タマもソウも、心からあんたを嫌ってるわけじゃないって」
ーー嫌ってるわけじゃない、か。
そうは言っても、彼らからにじみ出るあの近寄りがたい雰囲気はいいものじゃない。
は昨日の二階堂大和からの言葉を口に出しては深いため息をついた。「嫌ってるわけじゃない」か。誰がどうみても「嫌悪」のオーラが充満しているようにしか見えないだろうに。
は朝食のこんがり目玉焼きトーストを頬張りながらもニュース番組を付ける。画面いっぱいにはIDOLiSH7でもある彼らがうつり、思わず咳き込む。カフェオレをグググッと飲めば自分を落ち着かせるように深呼吸をした。
今日は初めての出社だ。家を出る前に相棒に「今日から小鳥遊事務所で働くの。ライバル会社にはなっちゃうけど、これからもよろしくね。またオフの日に会えたら嬉しいです」とラビチャをし、黒いパンプスのストラップを留め、外に出た。
小鳥遊事務所までは徒歩十五分くらいの距離にあり、通勤がとても楽だった。
明日から自転車通勤しようかなと考えていたところに、ポツポツとどんより雲から雨が落ちてきた。折りたたみ傘という便利なものを今日に限って持っていなかった
はカバンを抱えて走り出す。事務所まで、あと陸上競技場トラック二週分といったところか。走れなくはなかった。
全速力で走ったのは高校生以来のこともあり、到着する頃には息切れが半端無かった。ゼーハーゼーハー、と息をするのもやっとのことで、事務所の門をくぐった。呼吸を整えて挨拶をしようとドアを開ければ、出迎えてくれたのはあの二人だった。あ、まずい、どうしよう。言葉が出てこなくなった
を見て、環が口を開く。
《4話へ続く》