≪君が世界にいてくれていれば≫
君が世界にいてくれていれば、どれほどよかったのだろうか。
思い返す度に、後悔の念にかられる俺がいる。
割り切ったはずだ。あれから3年も経っているんだ。いい加減、前に進まなければならないことも頭の中では理解している。
それでも、だ。
絵麻の言動とアイツが重なるんだ。絵麻は絵麻、アイツはアイツ。二人は違う、全くの別人。何度も何度も心の中で呪文のように唱えても、効果は表れなかった。唯一異なるのは、絵麻は俺の名前を「棗さん」と言うところだ。アイツは、椿と一緒に馬鹿やっている時は「なっくん」で普段は「棗」だ。それでどうにか人前では保っていた。
ああ――。
いつになったらアイツは帰ってくるのだろうか。
アイツが残していった淡い色のブリザードフラワーの横には、白い額縁の写真立て。少々光で色褪せた、二人の幸せに満ち溢れた笑顔。俺の……今は亡き大切な人。
「なあ、ここでなら言ってもいいだろ……?
っ……」
円形のガラス容器内で枯れずに咲き続けるコイツだけが、頬に伝う雫の意味を知っていた。
≪それよりも、その熱が不快≫
※狂愛。第三者への若干の暴力表現有り。
不快だった。
収録が予定よりも早く終わったから、近くのカフェでのんびりしてから帰路に着こうとしていたのに。彼女が見知らぬ男から腕をつかまれていた。
不用意に駆けつけてもいけないことはわかっている。ただの部下と上司の痴話喧嘩かもしれないし。相手に悟られないよう物陰から見守ることにした僕は一言一句聞き逃さないように耳をたてた。
やっぱり、不快以外の何ものでもなかった。彼女の細い手首を、その汚れた手で触れるな。厭らしい目付きでなめずるように見るな。穢らわしい。
僕は憤りを隠せないまま彼女をこの男から引き剥がし、自分の背中にやる。ふつふつと煮えたぎる感情をこのまま溢れさせてもよかったけれど、愛しい
がそばにいるから、この場は抑えた。去り際、光のない目で睨み付け、逃げたら許さないと告げて彼女をカフェまで送った。
十数分後、僕は戻った。男はさっきいたところから一歩も動いてないようだ。僕よりも背が高く、肩幅もあって大柄。威圧は僕が勝っているけれど。こんな大柄な男が、足をガクガク震わせているのだからね。笑っちゃうね。いい気味だね。
僕は男の首根っこをつかみ、横の廃れた道へ引きずり込む。
許してください。ただ話かけただけなんです、だって? そんな理由、どうだっていい。
許さないよ。泣き叫んでも、膝まずいても、許してあげない……。ふふっ。僕のモノに触れた罰を与えないとね。まずは、そうだね……その熱をかき消してあげようか。
≪すべてが滲んでしまえば良いのに、と≫
すべてが滲んでしまえば良いのに、と灰色の雲に俺は問いかける。
三つ子ってさ、何でか同じ考えなんだよね。梓も棗も、俺と同じ相手を好きになった。初めは負けないなんて宣言して積極的にアピールした。でも、同時にしんどかったんだ。梓は特に小さいころからずーっと一緒だし。運命共同体、みたいな? それくらい、俺にとって梓は特別な兄弟だった。もちろん、
を譲るつもりはなかった。ただ、辛かったんだ。
勝負するのは嫌いじゃないけど、奪い合うのは好きじゃない。
彼女も三つ子だったらよかったのに。こんなありもしないこと思っても仕方ないけど。
離れる前に、好きって言えばよかったかな……。
あーあ。
はっきりとした答えの要らない、曖昧な世界だったらいいのに。
≪一番傍にいてはいけないのは≫
※狂愛。
――紛れもなく、僕自身……。
アイドルとして世間に広く知れ渡って、「男性アイドル≒朝倉風斗」と認知されるようになった。まだまだだけど、夢に近付けたと思ってる。正直、嬉しかった。表には絶対に出さないけど。
ただ、僕が隣にいることで何処に行っても目の敵にされてしまうことに、最近気付かされた。
多少なりともいじられることはあったようだけど、
は笑って大丈夫大丈夫といつも以上の笑顔で言っていた。僕も深くは聞かなかった。日に日に増えていくあざが物語っていたというのに。「いつも以上の笑顔」を何で察してあげることができなかったんだろう。裏目に出てしまったとようやくわかったのは、ツアー閉幕後――あれから1か月は経った頃だった。
吉祥寺に戻ったのは驚かせようと思って伝えなかった。むしろ、伝えなくて正解だったよ。合鍵で入った先に見えたのは、程よく整頓された明るい部屋じゃなかったから。
キッチン周りはコンビニの袋やらスナック菓子の袋、割りばしが散らばっていて。ゴミ出しの日に出さなかったのか出しに行かなかったのか、口が縛られたゴミ袋も並んでいた。僕の好きなフルーティーな匂いも一切ない。
さらに奥へ進めば、ベッド周りも物で溢れていた。変だ。汚い部屋は断固拒否な人なのに。キッチンと違う点と言えば、不自然に服が破れていること。まるで、刃物で切り刻まれたような……。ハッとした僕は目を凝らして見た。変色したそれが付着しているのを見逃しはしなかった。
モゾモゾ。突如、布団が暴れ出す。かすれた音は確かに僕の名をつむいだ。
近寄ると同じ分だけ後退り。それでも壁際まで追いつめて、邪魔な布団を剥いで、ぼさぼさ頭の彼女を抱きしめた。見た目がだいぶアレだけど、声とぬくもりは変わらないままだった。
もう何もしなくていい。いてくれればいい。
そうだ。閉じ込めてしまおうか。他の誰にも触れさせないように。それがいいよね……? 部屋中の窓に鍵をかけて、内側からは開けられないようにして、防音も徹底的にして、それからそれから――……僕の手で絞めてあげるよ。